Twitterなどでチラホラと職業訓練の話しをする人がいて、読んでると懐かしく興味深く、私も書いてみました。
8年ぐらい前の話しです。
学校に入るまでの私は、今とは真逆の肉体労働系の仕事をしていて、WEB制作の知識は全く無かったです。
目次
デザインとは縁の無い生活を送っていたが・・
それまでの人生、デザインに興味も欠片も無い生活を送ってきましたが、あることをキッカケに好きになりました。
以前に記事に書いたので詳しくは触れませんが、
「仮想空間内でのPOP広告の作成」という一風変わったキッカケです。
WEBデザイン中級科
私が入った職業訓練は「WEBデザイン中級科」というものでした。
当時、40代になって東京から地元に戻ってきた私は、何度か転職を繰り返していて「このままじゃいけない」と思ってました。
何か技能を身に付けないと人生の後半を乗り切れないだろう、と。
ハローワークで職業訓練の募集要項に「WEBデザイン中級科:生徒募集」との文字を見つけて、これしか無い!と意気込みました。
周りは若い人ばかり
入るには面接などがありましたが何とか乗り切り、無事入学。
いざ入ってみると、クラスは20名程度。
男女比は半々ぐらい。
年齢は20代と30代前半が大半。
私より年上の人は一人のみで、その人は入学後すぐに家庭内の事情か何かで辞めてしまい、私が最高齢となりました。
若者の群れの中にオッサンが一人いるわけで、何とも言えない悲哀のようなものを感じてました。
「なんだ、この場違い感は!?」とか思ってました。
何故にPerlの授業?
授業は三ヶ月間で、そのうちWEB制作の勉強が二ヶ月間、あとの一ヶ月間はプログラミング言語の「Perl(パール)」の授業に充てられました。
何故にパール?
当時から学ぶ意味が分かりませんでしたが、今でも分かりません。
メールフォームか何かのプログラムに使うとの理由でしょうか?
後で聞いたのですが、職業訓練を行っている学校がパールの教材を買いすぎたために、そのため無理矢理にカリキュラムを捻じ込んだというのが真相のようです。
詰め込まれた授業
で、残りの二ヶ月間にWEB制作の授業が詰め込まれています。
◇HTML
◇CSS
◇photoshopの操作方法
◇illustratorの操作方法
◇fireworksの操作方法
(当時人気があったソフトで、Adobeに飼い殺しにされて終わってしまいました・・)
全くの初心者が、二ヶ月でこれを全て覚えないといけないわけですから、生徒も大変、教える先生も大変でした。
当時のWEB制作の状況
ここで、当時のWEB制作界隈の状況はどうだったのか書いてみます。
この業界の変化は激しく、思い出しながら書いてると、8年前の状況なんて古代のように感じますw
HTML
当時、HTMLは「XHTML 1.0」から「HTML5」に切り替わる端境期で、学校の教材も両者が混ざっていて困惑しました。
ネット上のサイトも「XHTML 1.0」で書かれたものが大半で、それよりも古い規格の「HTML 4.01」もまだまだ多かったです。
ちなみに、HTML5になって新規に追加されたタグに以下のようなものがあります。
「header」
「nav」
「footer」
「main」
「article」
「aside」
「section」
こんなのは今では普通に使われてますが、当時は全て「div」で書いてました。
CSS
HTMLより変化が激しかったのがCSSです。
いちいち全部書ききれませんが、私の職訓在学中や卒業後に新たに追加されたものに以下があります。
「border-radius」
「box-shadow」
「text-shadow」
「opacity」
「transform」
「animation」
「rem・vw・vh等の単位」
「nth-child(何番目系)」
「CSS関数(calcなど)」
「CSS変数(:rootで始まるアレ)」
「flexbox」
「CSS grid」
ここらへんですね。
特に「flexbox」の登場には驚きましたし、「CSS grid」はさらに驚きました。
「CSS変数」ではぶっ飛びましたw
レスポンシブデザイン
「レスポンシブデザイン」は今では当たり前になってますが、当時は一部の先進的な人のみが使ってるぐらいで、学校では習いませんでした。
ってか、世の中にそんな概念が存在すること自体知りませんでした。
当然、メディアクエリも教わりませんでした。
「レスポンシブデザイン」は、スマホ人口が増えたのと、Googleが検索基準に「モバイルファーストインデックス」を宣言したのが大きかったですね。
あれで普及が加速化しました。
デザイン
レスポンシブデザインが増えると共に、フラットなデザインが浸透しました。
あと、Google推奨のマテリアルデザインなども普及しました。
当時は、例えばボタンなどは画像を切り出して貼り付けることが多かったです。
「悲壮感」を帯びつつ
さて、話しは戻ります。
一定の年齢になってから転職する人は皆そうだと思いますけど、職業訓練中の私は一種の「悲壮感」のようなものを帯びていました。
「ここで技術を習得できなければ、人生もう後が無い」
と、オッサンは思うわけです。
やはり勉強の吸収速度は若い連中の方が上なので、熱意だけでも負けないようにしようと思ってました。
今となっては他愛の無い話しですが、当時アニメの「進撃の巨人」の1期が放送された頃で、私はそれのサントラを毎朝の通学時に聞きながら、自分を鼓舞していました。
卒業制作で
三ヶ月の締めは、卒業課題のサイトの制作でした。
なんでも良いから架空のサイトを作ってみなさい、と。
与えられた期間は2週間。
いやあ、楽しい期間でした。
2週間、サイト制作に夢中になって、土日すら休まずに通学したいと思ったぐらいです。
同時に「自分はWEB制作が好きなんだな~」と実感できました。
卒業後は・・
そして卒業。
クラスの20名の同級生のうち、この仕事に就いたのは私以外に2名のみだそうです。
やはり二ヶ月の期間は、習得するには短かったです。
当時のWEB制作者の進路は、制作会社への就職以外に道はあまり無く、他には企業のWEB担当に採用されるぐらいでした。
初心者からフリーのWEB制作者になるのは今以上に狭き門で、同級生のみんなは大変だったろうと思います。。
